鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞(福山・鞆の浦)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
こゝよりゆけば道三里
仙醉島を前にして
煙にぎはふ海士の里
さらに読みやすく!
ここよりゆけば 道三里
仙酔島を 前にして
煙にぎわう 海士の里
さあ、歌ってみよう!
♪ここよにゆけばー みちさんりー
♪せんすいじーまを まえにしてー
♪けーむりにぎわう あまのさとー
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ
福山の名勝・鞆の浦
鞆の浦は、広島県福山市にある景勝地です。

鞆の浦(広島県福山市)
福山駅から南西約10km、バスで約30分
福山駅からは、南西へ約10km、バスで約30分ほど行けば、鞆の浦に行くことができます。
歌詞では
とあります。1里=約3.9kmなので、だいたい南西へ約10km程度、というところでしょうか。
鞆の浦に残る、江戸時代の古い町並み
鞆の浦には、かつての江戸時代の古い町並みがたくさん残っています。
それは、江戸時代までは港町として、大きく発展してきた歴史があるからです。
舟で荷物を運ぶ、「水運」の拠点だった
では、なぜ鞆の浦が港町として大きく発展したのか。
それは、昔は現在のように長距離トラックや航空機、鉄道などによる貨物輸送が無かったため、水運による輸送が主流だったからです。
つまり、船に沢山の荷物を運んで乗せて運んだ方が効率良かったのです。
特に瀬戸内海は、平清盛の本拠地だったこともあって、日宋貿易や軍事上の理由などから、港が大きく発展していくことになりました。
なお、瀬戸内海とは、中国地方と四国地方の間に挟まった海のことです。
明治時代に「鉄道」が一般的になり、舟での水運は衰退
しかしながら、明治時代に入って鉄道による貨物輸送が主流となっていきました。
するとそれ以降は、水運は徐々に衰退していくようになりました。
それにしたがって、鞆の浦もかつてのような物流拠点としての役割は、鉄道に明け渡すことになったのでした。
そしてこれは、同じく海上輸送の交通で栄えた西隣の尾道市(おのみちし)にも同じことが言えます。
しかしその鉄道貨物輸送も、1960年代には長期的トラック輸送に置き換えられていくこととなり、衰退の一途(いっと)をたどるようになってゆきます。
「潮の待ち場所」としての鞆の浦
また鞆の浦は、「潮の待ち場所」として有名でした。
瀬戸内海の「真ん中」にあり、東西からの潮がぶつかる場所
それは何故かと言うと、鞆の浦は瀬戸内海のちょうど真ん中にあり、東西の潮の流れがぶつかる場所だからです。
満ち潮の時にその逆方向に船を動かすと、船のスピードが下がってしまい効率悪いのです。
満潮時は「満ち潮」の方向に、 引き潮の時は「引き潮」に従って船を動かしたほうが、船を進める効率がよいわけです。
くれぐれも、潮とは逆の「逆走」をしないことが重要でした。
月の引力は、地球の海にも影響している!
なお、潮の満ち引きは、月の万有引力(ばんうゆいんりょく)によって発生します。
月は地球の周りを公転しているため、月の位置にある海面は、上昇してゆきます。
これが満潮(まんちょう)という現象です。
この流れをうまく利用するかしないかでは、当時の舟は大きくスピードに影響していたのでした。
昔の舟にとって、「潮の流れ」は重要だった
昔の舟は、
- 明治時代のような蒸気(蒸気船)
- 現代のような軽油(ディーゼルエンジン)
などのエネルギーや燃料などで進んでいたわけではなく、あくまで風と潮の流れなどに大きく左右されていました。
瀬戸内海のちょうど真ん中にある鞆の浦は、
- 東:紀伊水道(きいすいどう。和歌山県と徳島県の間にある海峡のこと)
- 西:豊後水道(ぶんごすいどう。大分県と愛媛県の間にある海峡のこと)
の両方から入ってくる海水がぶつかり合います。
「潮待ちの場所」鞆の浦
そのため、鞆の浦を境にして、潮の流れが逆になるのです。
そのため、潮の満ち引きを待つのに都合が良かった場所とも言えます。
逆にいえば、例えば鞆の浦から大阪(大坂)方面へ向かいたいときに、満潮になるタイミングで行こうとすると潮の流れが逆になります。
そのため、舟のスピードが遅くなり、効率がよくない航行になります。
大坂へ行きたい→潮が引く(東へ進む)時間帯を待つ
下関へ行きたい→潮が引く(西へ進む)時間帯を待つ
潮が満ちる時間帯:鞆の浦方面(例:下関→福山、大坂→福山)へやってくるチャンス
そのため、靹の浦では満ち潮・引き潮を待つ、多くの船が集まったというふうに言われています。
このように、上手く「潮の流れ」が読めないと、昔の舟はまともに進むことすらできなかったわけですね。

鞆の浦(広島県福山市)
余談:広島の「松島」!?
鞆の浦は、あくまで個人的意見ではありますが、宮城県にある日本三景・松島(まつしま)のように美しいです。
「広島の松島」と言ってもいいかもしれません。
しかし、広島には元々、日本三景の1つ「宮島(みやじま)」があります。
そして、そちら(宮島)があまりに有名であるため、鞆の浦はどうしても「うさぎの楽園」で知られる景勝地・大久野島(おおくのしま)とともに、宮島の陰に隠れてしまいがちです。
それだけ鞆の浦は、美しい海の景色があると思っています。
仙酔島
仙酔島(せんすいじま)とは、鞆の浦にある数ある(松島のような)島の1つであり、
という意味でつけられました。
海士(あま)とは、現在でいう「漁師」のことをいいます。
海士の里というのは、つまり漁師たちの住む街のことをいいます。
また、鞆の浦は「崖の上のポニョ」の舞台としても有名になりました。
福山訪れて時間的に余裕がある場合は、是非とも靹の浦を訪問・観光してしていくとよいでしょう。
福山駅に戻り福山を出発すると、次は尾道に止まります!
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